2007年12月23日

私達の歴史

私達は兄弟4人で横浜市でインド料理レストラン「ラニ」を経営しています。お客様の皆さんによく聞かれるのが「なんでインドじゃなくて日本でレストランやっているんですか?」という質問です。そうですよね。なんでわざわざ日本で開業したんでしょうか?自分でもよくわかりませんが、それが運命だったからかもしれません。

■私達の生まれた場所


私達4人兄弟は、もともとインドの首都ニューデリーで生まれました。生家はインド料理店でした。インドでは親の稼業(家業)を継ぐのが一般的と言えば一般的です。最近ではIT産業(ソフト開発等)、医療ビジネス等がインド国内で大躍進しておりますので、必ずしも家業を継いでいる人ばかりではありません。私達の家の場合は、何代も以前より料理人を職業としてきました。もともと祖父は現在のパキスタンで生活していました。シアルコッティと呼ばれる場所です。昔はインドとパキスタンは(もっと細かく言うと現バングラディッシュも)ひとつの国でした。当時は英国の植民地支配を受けていました。英国から独立する際に、パキスタンとインドに別れたわけです。インド独立のストーリーは非暴力による独立を実現した「ガンディー」の伝記として日本の皆様には知られていることと思います。しかし、この分離独立についてはあまり知られていないかもしれません。なぜ別れてしまったのかと言えば、一番の理由は「宗教」でしょうか。
ともかく私達家族はヒンドゥ教徒であったため、パキスタンにとどまることはできませんでした。そこで家族はパニパットを経て、インドの首都ニューデリーまでやってきたのです。

■レストラン シアルコッティ
レストランシアルコッティ
祖父は、ニューデリーに引っ越す前に、パニパットでインド料理店を開業しました。この頃まだ私達はこの世に生まれていません。写真に写っているのは共同経営していたおじさん(祖父から見れば甥っ子)です。お店の名前は故郷のシアルコットから「シアルコッティ」と名づけられました。

その後ニューデリーで同じ名前のインド料理店を開業し、親戚一同協力して店舗を増やすこともできました。お店は大繁盛で毎日行列のできるインド料理店となりました。

その後長男ハリオムはタージグループに入社し、最終的にはタージグループでVIP担当シェフになるわけですが、タージグループでは、お父さんのレストランが地元でとても有名だっただめ「シアルコッティの息子」と呼ばれていました。

■来日
日本に来たきっかけは、簡単に言えば「タージグループに日本のインド料理店の経営者がやって来てヘッドハンティングされたから」という理由です。まさかその時点では、ゆくゆく日本で開業するとは夢にも思わなかったわけですが。

私達の歴史

■インドタージグループのホテルの紹介




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Posted by インド家庭料理ラニ at 00:05│Comments(0)どんなお店?
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